雨傘

作詞

雨傘と名前がつく映画お言えぱ、私が二十歳の頃に見た「シェルブールの雨傘」位しか思い付かない。フランスの片田舎で育った二人が成人する頃の愛や恋や悩みや家庭の事等を綺麗な映像と美しい音楽で作り上げた映画だった。

セリフはミュージカル風に仕立て上げられていて当時珍しく、カトリーヌ·ドヌーブのデビュー当時の可愛らしさと一緒に話題になった。でも後で知ったことだけど出演者全員音楽の素人だったから、プロの歌手が代役でうたってたらしい。

やはりプロの歌手って凄いなと思った、声が綺麗し情景に合わせて囁くように歌うし白人の声の出し方って何故ああなるか不思議だった。今でもよくわからないですけど。

その時思ったのが映画を作るって何でもありなんだなと、俳優たちの声もそうだし、ストーリーもああでもないこうでもない、ならどうしょうとか、カメラのアングル、カット割りなど一つの画面を作るのに物凄い手間暇を掛けている。ワンシーンを取るのに一日二日とか掛けてるに違いない。

コンピューターも一見速そうだけど、そんなこと無いんだ。一つのテキストを書き上げるのに一端書いたファイルをしまい、別にコピーしたものを引っ張り出してきて色を付けたり、フォントを変えたりあれやこれや一つの画面を作り上げるのに時間を割いている。

カメラでヒトコマひとこま撮影して繋ぎ合わせる粘土のアニメも大概だけど、コンピューターの作業も大概ですよ。プログラムから考えると、まずアルゴリズムを持ち出してフレームを作り、プログラマーが何ヵ月も掛け、それをバグ無しに動くか試しやっとソフトが完成する。

それを使う方も、グーグルで色々調べ、あちこちからコピーしてきて圧縮したり伸ばしたり、映像も著作権に引っ掛からないか肖像権って有るのとか気を使い仕上げていく。だから映画や芸術や創作物に嵌まると大変だ、抜けることも止めることもできなくなり神経がすり減っていく。今もブログ何書こうか真剣に悩んでいらっしゃる方も多いのでは、私が思うにそういうときは音楽を聞いてコーヒーでも飲むのが一番。

そう言えば音楽も大変だね、作曲なんて凝りだしたら大変ですよ。よく聞くのがメロディーが降りてくるまで部屋に閉じ籠るとか、トイレに座り込むとか聞きます。挙げ句の果てにメロディーがよく似ている盗作ではないかとか嫌疑を掛けられます。歌うのは大好きですけど、作るのは無理ですね。

よく長い間ゴーストライターを使ってたとか、イメージだけを考えて後はプロの人に仕上げてもらったなんて話は、各ジャンルで聞きます。私も作詞していて出てこないときは一週間なんてざらに有ります。作詞はまだ良いのですが、それのキャプションを二千字程度で書けといわれたら、出るのは脂汗だけです。

そこが一番難しいところです。悪い道に落ちるか自分で立て直してどうにか仕上げるか、こんな私のくそブログでさえ苦しいのに素晴らしい芸術作品を作る方はどんなでしょうか。

雨傘一つで物を書こうとするのが間違いでタブレットを持ってトイレに入ったり、チラシの裏にボールペンで書いてみたり、この紙に書くのが今となっては致命傷なんですね。又画面に打ち直さなければなりませんから、昔の人はすごいですね。原稿用紙に何枚も、それに現地調査や写真撮影なんて大作家でないと、助手も使えませんから今の何倍も労力を割いていたのでしょう。

雨と傘と別れのシーンは映画でもよく出てきます。何故かしっくり来るんです。雨から涙の連想、傘と女なんて最高ですよね。昔はよく雨宿りの場面が二人の出会いに使われてました。二人とも傘を持っていなくて何処かの店のひさしで雨宿りいつしか引かれていく二人、こういうときは雨傘は邪魔ですよね。

もう一つよく似合うのが、駅と傘と別れ、傘の滴で濡れたコンコースで二人が最後の別れのシーン、もうこれで一生会えないなんて最高ですね。フランス映画はわりと愛をドライに残酷に扱うのが多いですけど、それが映画のバックボーンになっていると言うより、人生の底に別れが最初から入っている気がします。良いですね最初から別れが感じれる恋なんて、是非この秋にしてみたいものです。

 

 

雨傘   作詞 つばめのす

赤坂の夜に雨が降る
私の心を濡らしていく
傘を差しても同じなの
あの日泊まったホテルのネオンが
涙に滲んで読めないの
あぁ 赤坂 雨の夜

外苑を行く人のシルエットが
雨に煙ってぼやけている
傘を持つ手が震えるの
あなた止めて あの日のように
私を抱き締め放さないで
あぁ 皇居外苑 雨の朝

八重洲で降りて 新幹線に乗るの
傘の滴が 切符を濡らす
いっそ 破れてくれないか
回りは知らない人ばかり
あなた私は 帰ります
あぁ 東京駅 雨の発車ベル

 

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