母親

作詞

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母親

この作品は、NHKの「にほん縦断 こころ旅」と言う火野正平さんがやっておられる番組の中で紹介された一話を見て泣けてきたので書きました。

鳥取県日野町の日本なら何処にでも有るようなのどかな村の話です。東京の大学へ進学する青年が、旅立つ朝自分の最寄り駅は特急やくもが止まらないので、一つ戻って特急の停車駅まで行き、引き返す形で実家の近くを通りすぎると言うかたちです。

特急やくもは出雲市から岡山まで山陰本線、伯備線を経由していきます。大体山陰の人が東京や大阪に出るときは、京都には行かずそれぞれの近い南下線に乗って新幹線に乗り換えるらしいです。

今回は黒坂駅に止まらないので、根雨駅まで行って特急やくもに乗ったみたいです。黒坂を過ぎていよいよ自分の村が見える頃かなと思ってそちらを見ると、村に続く坂の上に今朝玄関で別れた母親が立って両手を広げて振って見送って呉れていたのです。思わず涙が込み上げたでしょう。その時ああ日本の母親ってこんなんだなと思いました。

私は事情と言うか性格と言うか、割りと冷たかったので、母親とは一線を置いてましたので偉そうなことは言えませんが、母親のイメージはこんなだと思います。

男の子は母親に対して幼少期は甘えたですが、少し大きくなってくると、生意気にも距離をおきだすんですね。口もぼろかすに使いだします。他人だったら激怒するくらいのものの言い方です。良く辛抱してるもんだと感心します。今思うと有り難いですね、自分にも言えないくらいきつく言っといて後はすっかり忘れて普通にしているのですから。

母親はそんな息子が可愛いのか、憎たらしいのか顔にも出しません。ずっと平常心です。御批判覚悟で言わせてもらうと、女性の料簡の狭さはわざとそうなっているとしか思えません。男のようにぼうと広くしてしまうと、子育てと言う過酷な作業をこなせなくなってしまうからだと思います。

母親の愛など要らねと思っても、その広さ優しさ抱擁力のふかさから逃れることはほぼ不可能ですね。辺境の地まで及ぶ重力みたいなものです。ミトコンドリアの母系遺伝に有るように世代を越えても続いていきます。母親のエゴイズムは子供の為に有るのです。

そんな暑苦しいもっさりとした関係が嫌で子供は切ろうとしますが、なかなかこれが切れません。小包で届いた母親の愛情嬉しいですね。電話の向こうの優しげな声、たまに食べる懐かしい味、特別な人それは母親。

母親

作詞 つばめのす

私の駅は特急が止まらない
一つ手前の駅に行き列車に乗る
故郷を離れて東京に行く
窓から我が家が見えるかな
坂の上で両手を振る人がいる
母親だ 涙が溢れだし止まらない

普段は喧嘩ばっかりしてたけど
迷惑ばかり掛けてたけど
いつも側に居てくれてた
わたしが東京の学校に行くと告げた夜
あなたは少し泣いていた
でも今朝は笑顔で送り出してくれた

男にとって母親は幾つになっても
気恥ずかしい 面と向かって
ありがとうは言えない
でも今なら言える 弁当を広げ
箸を持って 有り難う
涙でお結びが少ししょっぱい

 

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