紀の川 哀歌

作詞

紀の川は大台ヶ原を源流として奈良県を通り和歌山県に流れる大動脈です。奈良県では吉野川と呼ばれ和歌山県に入ると紀の川に名前を変える。橋本辺りで西流し中央構造線の南側を悠々と流れる。昔は、和歌の浦に流れ込んでいたが地震により砂丘が崩れ、現在の紀伊水道に河口を持つようになる。

水の少なかった奈良盆地の人々は、滔々と流れる紀の川の水が喉から手が出るほど欲しかった。降水時期が限られそれ以外は水不足に陥紀の川は、大台ヶ原を源流とする吉野川奈良県を通り紀の川と名前を変えていく。奈良県と和歌山県を貫く大動脈、昔から水争いが絶えなかったる和歌山県も譲れなかった。その決着は第二次世界大戦後まで持ち越される事になる。

水を制する者は、天下を制するとまで言われた水利。羽柴秀吉も太田城を攻めるとき、紀の川の水を堰で食い止め利用した。関ヶ原の戦いで功労のあった浅野幸長、続いて大坂夏の陣の後家康の十男頼宣が入封し徳川御三家の礎を築いた。

表の歴史はいくらでも書ける。でもその裏に付いて回る女の歴史は涙の陰に隠れて残るものは少ない。まして野摘みの女の話など子供の戯れ歌にも残りはしない。

せめて母さまの住むあの町まで一度は帰りたい。我が子を背負って歩く川沿いの堤道、夕暮れの鳥たちさえ帰る山があると言うのに、何故私は泣いているのこの川を下って行けばあの町まで行けるのに。

大きな家に嫁ぐほど幸せも大きいけど、悲しみも増えてきます。あの人に嫁いだのか、家に嫁いだのか若い小さい嫁には分かりかねます。言えるのは半端無い試練が待っているのは間違いないと言う事です。でも辛抱していれば何時かは良いときもやって来るでしょう。それまで川は何も変わらず流れていきます、女の涙を呑み込んで

 

紀の川 哀歌

作詞 つばめのす

川の流れに逆らう恋は
涙の滴で枕を濡らす
昔に聞いたそんな話
今の私に堪えます
お義母様 行って来ます
子供を背負って駅までの道
あなたを迎えに行く時が
一番幸せな気がします

朝起きて子供の寝顔を見るたびに
今日一日が波風立たぬ日でありますように
三三九度を交わした日から
あなたに尽くして来たけれど
今も馴染めぬこの家のしきたり
高野の山に手を合わせ
至らぬ私を叱ります

この川に小舟を浮かべたら
夕暮れまでにはあの町へ
たどり着くと言うけれど
心が縛られ 体が動かない

 

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