角砂糖 不登校

作詞

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何故 不登校に

答えは分かりません。私は子供三人孫四人います。子供三人と先に生まれた孫二人は男です。五人とも不登校です。

まず子供の方から話します。長男が登校をしぶりだしたのは小学五年の頃からです。私は働いてましたので妻が全て担当してました。半年ほど経つと次男の方も行かなくなりました。三男はまだ年長組でした。初めの内は何とかして行かそうとして、用意してランドセルを背負わせ引っ張って行きました。そんなことは長続きしません。途方に暮れだしました。

学校の方でも先生が来てくださったり、同級生の子が迎えに来てくれたりしましたが、一向に効果が有りません。本人たちに聞いても何も言いません。学校のことを考えるとお腹がいたくなるとか、部屋に閉じ籠ったままになります。次男の方は先生が来ると隅に隠れるように成りました。

夫婦二人は途方に呉れました。同居してたので年寄りたちは勝手なことを言います。祖母にいたっては、勝手に小学校の校長に会いに行く始末です。家内もかなり板挟みに苦しんだと思います。その時は、同居のマイナスのイメージが関係してるのかなと思いましたが、後になって考えるとそれはあまり気にしない方がいいと思います。後でその事は又お話しします。

三男が小学校に上がって一学期も終わらないうちに不登校になりました。六年生、四年生、一年生の揃い踏みです。サッカーで言えばハットトリックです。私は、会社を辞めました。その頃はまだ借家もあり収入も有りましたので、生活には困らなかったです。

何もしなかった訳でもなく、人に言われて占い師にみてもらったり、カウンセリングとかもかなり行きました。でもこれと言って効果も有りません。そんな中で市の教育委員会がやってる相談所が有って、週一回面接をして下さってました。週がわりで子供を変えて連れていき、親は一階の相談室子供は二階の遊戯室と言う形で相談に乗って下さいました。

担当者の女性の方はかなりベテランで、焦っても仕方有りませんよ、ゆっくりいきましょと常に言って下さいました。親がプレッシャーを掛けてもろくなことがないと、口を酸っぱくして言われました。特に一番下の三男は年が行かない内に不登校になってるので長引きますと言われました。

不登校になって何が苦しいかと言うと、これが親なんですよね。勿論子供も苦しいですけれど学校に行かないと言うことで苦しみを半減させることができます。でも親はそうはいきません。自分の変なプライドや学歴や、父母たちの文句や果ては近所の目とか訳のわからない圧力に苦しみます。中でも自分自身で考えてなんでや、なんでやと自分を追い込んでしまい親夫婦が暗くなることです。これはやり切れません。何とか解決しょうと考えれば考えるほど答も有りませんし苦しくなって来ます。

他所さんの子達を見ると平気で朝早くから夕方まで元気良く過ごされてるのを見ると、内の子は駄目なんやとおもってしまいます。これが一番いけないんです。

あるときから考えるようになりました。学校ってなんや何のために行くんやと、別に行かんでも良いやん、勉強なんて学校以外でも出来るし、三百六十度見渡してどの方向でも行ったらええやんかと思うようにしました。初めはそう思い込もうとしましたが、後に本気でそう思うようになりました。子供たちの居場所を確保してやり初めは無理矢理にでも笑って楽に居てれる家にしょうと勤めました。

一番やってはいけないこと、やっても無駄なこと。無理矢理に学校へやることです。家を追い出しても子供たちは一人で学校に行きません、行く宛もなくさ迷うだけです。ろくな結果は出ません。親御さんに出来ることはドンと構えて、かまへん責任は私が取ったるから好きな時間まで悩み、考え抜きと言ってやることです。毎日毎日暗い顔を付き合わせて悩んでいても良いことは起きません。

結果から言いますと、三人ともに中学校は卒業しました。義務教育は出席日数が足りなくても卒業出来ます。さて問題は高校です。次男は無理やり私学の高校に入れましたが二年の春に辞めました。その後通信制高校を出て今は二人とも仕事に付き結婚もして子供が二人ずついます。三男は教育委員会の先生が仰った通りいまだに家でぶらぶらしています。それも仕方の無いことだと諦めています。そうなんです諦めるしか無いんです。子供の人生なんだから親がどうこうできないんです。心太やないんで親が押し出してもそんなに上手いこと出ません。

人の力なんて特に親の力なんて大したことは出来ません。そう思ってどうやらこうやら格好が付いたなと思ったら、次男の子供二人が不登校になりました。孫の上の方が小三位から行くのが嫌だと言い出して、その頃から次男夫婦の仲が可笑しくなり離婚しました。そうしたら下の孫も行かないと言い出しました。えー二代続いて不登校と思いました。たぶん私前世でろくなことしてこなかったんだとつくづく思いました。同居しててもしてなくても関係ないと思えたのは次男の家庭のことからです。

思っても仕方がないので今は朝だけ、父親と孫の分の弁当を作りに通ってます。子供たちのことで勉強したのでパニックにはならずやれてますが、やはり苦しいことは苦しいです。こればっかりは、変わってやることができないから
変われるんやったらなんぼでも変わってやろうと思いますが、それもままなりません。

後から長男の方の孫が出来たのでまだ分かりませんが、こちらの方は二人とも女の子です。上が保育園、下の子のお宮参りをこの月末におこないます。

次男の方は、上の子がフリースクールに、下の子は週三位で行ってます。ぼちぼち行きましょ。この角砂糖と言う作品は、孫の小学校の卒業式に出て感じて書きました。思い出は口に入れると甘く溶けて行きます。不登校なんてアクセサリーの一つと思えば良いのです。一つぐらい気に入らないのだって有ります。

 

角砂糖

作詞 つばめのす

目を瞑れば思い出は角砂糖のように
溶けていく
涙で汗で熱い熱でフランベされて

校庭で遊んだ 教室で学んだ
朝学校に行くのが億劫だった
帰り道友達とわいわいガヤガヤ

ランドセルを放り出して
遊びに行く 勉強もしないで
怒られた いろいろな思い出が

目を瞑れば 桜 チューリップ 朝顔
遠足に行った 山や 川や 海
友達の顔と一緒に浮かんでくる
今卒業式の講堂で角砂糖が溶けていく

 

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