海馬の旅

作詞

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記憶力を鍛えよう

海馬は脳に有る記憶器官です、そのかたちがタツノオトシゴに似ているから海馬と名付けられた。英語名はhippocampusヒッポキャンパス、ここが壊れると記憶が無くなる処か生きていく事さえ出来なくなる。空間認識も行う大事な場所です。だからでしょうか、脳幹の奥に位置します。

人間はどれくらい記憶を辿れるでしょうか、思い出してください、あなたなら幾つの時の記憶が残ってますか。大抵二三歳位までですよね、中には前世までと言う特殊な方もいらっしゃる見たいですが、普通はそんなには行けません。

記憶と時は緊密に関係していると思われます。だから少し時のことに触れたいと思います。時、時間、時刻と色々呼び名はあるし人それぞれで観念的に違うところが有ります。ある人は時なんて存在しない、有ると思うのは錯覚だと言う人、またある人は時は過去から未来に連続して続いてる、又別の人は未来から現在過去へ流れていく。もうなんの事か分かりません。

アインシュタインに至っては、時間は人それぞれで別々の時間があり、速く移動するものは時間の経つのが遅くなると言いました。変わらないのは光の速さだけだそうです。重力に依っても時間は変わるらしいです。量子力学的にも違いがあるそうです、だからここではそんな難しことは置いといて、もっと観念的に考えたいと思います。

私の感覚なんですが、三十年前の私の記憶と十年前のそれと、去年の記憶とは違いますよね。でも新しい記憶が上書きされて古いのが消えてる感覚はないですね。それぞれの時代の分が消されてなくて朧気ながら残ってます。そこから推測すると記憶と言うのは、スレッドみたいに何枚も独立して保存されているのではないかと考えます。

現在はその板に一生懸命書き込みをしているのかなと思います。そして未来は何も書かれていない板が並んでいるだけ。

又別の見方も出来ます。時間は流れていなくて、過去にも未来にも別の次元にも時があって実はどこへでも行けるんだと、でもどこへ行ったとしても今自分がいるところの書き込みのインクが濃いから現在の認識が強いと言う考えです。

では何故いつも自分のポジションに戻ってしまうのでしょう、自由に毎日居場所を変えれば楽しいんじゃないですか。多分時間と空間と自分を関係付ける何かが有って、そいつが結び付けているのでしょうか。そうするとそいつは何者で何のためにそんなことをするのでしょう。

一つは、この世は鍋底のようにへこんでいて、自分はパチンコ玉でどんなに遠くへ行こうとも回りまわって自然に引き戻される。二つ目は、なにか輪ゴムのような物で留められていて、ある程度動けるけど又引っ張られて帰ってくる。三つ目は、みんな光の速さで飛んでいたのに、欲望を持った為に質量が増えて速度が遅くなった。

だから死ぬ時は、質量が無くなり重力も輪ゴムを縛り付けるものも無くなり、光の速さを取り戻し自由にこのいわゆる宇宙空間を飛び回るようになる。それはその人に取って幸せな事かそうでないかは分かりません。たぶんそんなところでしょう。

記憶がなければ生きていけません。苦しい思い出も悲しい思い出も、今のあなたが有ると言う事の強烈な支えになっています。神経細胞は生まれた時が一番多く年を経るに従って減っていきます。それに反して海馬は鍛えれば強くなるそうです。物事をたくさん経験して、あなたの乗る海馬と共に良い旅をして下さい。

海馬に乗って過去へでも、未来へでも宇宙の果てまでも行けます。それがあなたの完全なる自由に繋がるでしょう。

 

海馬の旅

作詞 つばめのす

俺のキャンパスはもうすぐ消えていく
旅に出よう 国内旅行じゃなくて
脳内トリップへ

シナプスとシナプスを乗り継いで
切れ掛けた蔦を繋いで谷を渡る
あそこに 鶏小屋の陰にうずくまり
隠れん坊している私がいる
姉達が探し回っている

五月雨上がりの水路 暗渠が口を開けている
駄目だと思った瞬間 太い腕が俺の体を引き上げる
危なかったねと呟く近所の老婆たち

もうこれくらいにしておこう
遡れるのも ここまでだろう
これ以上は吊り橋が切れて
記憶の谷に落ちていくだろう

海馬に股がり旅を行く
時間は 光と空間が織り上げた
まやかしのからくり
もっと広げておけば良かった
貴女に誘われたあの空間へ

 

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