花吉野

作詞

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吉野を行く

吉野は、桜の時期が有名だ。でも夏から秋、秋から冬もえもいわれぬ風情がある。夏の終わりなど夏と秋が同居していて風の一陣毎に夏と秋が入れ代わる。

吉野大橋で吉野川を渡る。左折して道を行くと吉野警察の前に出る、暫くすると道が細くなり登りの勾配が出てくる。

さらに行くと、吉野神宮の駐車場の入口がある。砂利道の駐車場に車を止め歩きだす。季節は八月下旬夏の終わり、青空が広がっている。

この神宮の歴史はさほど古くはない。南朝の後村上天皇が父後醍醐天皇の崩御に伴いその像を吉水院に安置したものを、明治政府が神仏分離により吉水神社としたものを大正になって吉野神宮と改めた。神宮の風格を持ち悠然と構える社風は流石のものがある。

お詣りを済ませ車を山道にもどす。暫く行くと広大な駐車場があり、そこから徒歩にする。すぐに吉野の谷を左に見て山道を行く。山道と言っても綺麗に舗装され桜の時期には全山が見渡せる位置にある。

ロープウェイ入口が見えてきた。近鉄吉野線
から乗り継いで上がってこれる。すぐに金峰山寺の黒門が見えてくる。この辺りから金峰山寺まで両側に土産物屋や料理屋、旅館がぽつぽつ並んでくる。腹が減ってきた、時計を見ると12時を回っている。昼飯にしよう。

季節料理初音に入る、中から女将と思われる婦人が出て接待してくれる。元宝塚出身と言っても良いくらいの細い綺麗な姿だった。店の名前の初音御膳を注文する。素朴な吉野を体現したような味と見栄だった。

店を出てぶらぶら行くと、道の一段高い所に鳥居が見えてくる。金峰山寺(きんぷせんじ)の銅(かね)の鳥居だ。ここから向こうは、冥土と見立てて行者たちは進んだらしい。

すぐ上に、ひょうたろう吉野本店がある。飄々とした店構えが何とも言えない。浩宮徳仁殿下献上品と書いてある。来年に今上天皇になられる方だ。ここの柿の葉寿司は絶品だ、幾つでも行けるんだか糖質と金質に寄って家内からセーブが掛かる。

両側に吉野葛の店が増えてくる。本葛を使った和菓子は素晴らしい、葛は花も美しく余すことなく利用できるらしい。

仁王門の下に萬松堂がある。よもぎ餅が匂いとビジュアルで誘ってくる。素朴な味が何とも言えない。急な階段避けゆっくりとした迂回路を選んで蔵王堂の方へ行く。

本堂の階段を上がってお堂の中を見上げると、なんと真っ青な仏様が三体、蔵王権現だ。なんと言う迫力、左から弥勒菩薩、中が釈迦如来、右に千手観音菩薩。普段見る菩薩の姿とは違う形で現れているようだ。

役行者が開いたと言う吉野山、全山が修行の場所として成り立っている。この後どうしようか、竹林院へ行って秀吉も見た庭園に行くか、吉野朝跡を見て、急な山道を下り修行の憧れの地である脳天大神龍王院まで足を伸ばそうか。

階段の入り口に無料の杖が筒に入れられ何本も置いてある。と言うことは相当きつい登り下りだな。覚悟して行こう。脳天大神は戦後間もなく当時の金峰山寺の管長が、新しい修行の場を探して谷を降りて行くと、子供たちに脳天を割られた蛇が死んでいた。それを近くの洞窟に安置し回向を手向けた。その夜「我は蔵王権現、昼間は人々の苦しみをあのような姿で見せたのである。人々の苦しみを救うために我を脳天大神として祀ってくれ」特に頭の病気や悩み苦しみの救済の大神として以後人々が訪れるようになった。

ひんやりとした洞窟に構えられた龍王院、昼なお薄暗く霊験あらたかな空気が何とも火照った体に心地よい。社務所で頂く冷茶は煩悩を洗い流してくれる。お下がりのゆで卵を頂いて帰るとしよう。首から上の悩みごとは何でも効くと言われたが、頭の悪いのは無理だと思うのでせめて声帯が良くなり歌が上手くならないかな。そんなことを考えながら、杖を便りに階段を上ってます。

花吉野

作詞 つばめのす

愛は通行手形 期限が切れると
もう通れない

秋なのに 花吉野なんておかしいでしょ
あなたと来たいつかの春の印象が
きついから

風がそよぎ
葉の紅にはまだ時季が早い
石坂を登っていくと額に
汗がにじむ 山門が目にはいる

二人結んだ愛の糸はいつ切れたの
あの時食べた草餅がまだ青い
ほろ苦いお茶が甘さを流していく

人の栄華なんて儚いもの
竹林院で見た古桜も
いくつ咲き変わったのか
秋にしては 少し暖かい
青い空が目に滲みる

 

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