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聖書とスマホ
人は生まれながらに十字架を背負う、人は生まれながらに心に貪・瞋・癡の三毒を宿すと言われている。西洋、東洋を問わず自分を戒め厳しく生きていけと諭されます。
何を心の書に、何人を人生の師匠にするなんて今の日本じゃ誰も教えてくれない、誰も触れようとはしない。心に負荷を掛けず自由に生きていけたらどんなに幸せだろう。一方で溢れんばかりの情報と、欲望を刺激するメディア激流の中ライフジャケットも着けずに歩いていく。イライラと焦燥感に煽られ成す術もなく焦がされていく。
日常のストレスから逃れるために、酒にギャンブル、趣味娯楽宗教色んなアイテムがある。でもそれに溺れたり縛られたりしないで、己の魂を解放してくれる方向で利用してほしい。
聖書に頼るも、お経にすがるも人の自由ですが一つ入れてほしいのは自分の考えを思考停止するんじゃなくて、ずっと考え続けてほしい。いつまでも古いソフトではなく、常に新しくアップデートして良いアイテムが有ればプラグインして要らなくなったものはデリートして行く姿勢を保ってほしい。
それこそ今のスマホは、聖書位の規模なら平気で呑み込んでしまいます。余った回路を別のことに利用してどんどん大きくなって行ってほしい。可能性はそれこそ無限にある。回路を閉じてしまうかオープンに広げて生きていくかは、それこそ自分次第こんなに生きやすい時代は今までに有っただろうか。
わざと自分を何かに縛りつくてないと生きていけない人、少しでも縛られると嫌な人、人それぞれの生き方を容認して行くのは難しさもある。それが組織の中や対人の中で軋轢を生んでいくことに発展していくと自分一人の力ではおさえきれない。一人の力なんて微小なものだ、自分の意見など通らない場面なんてしょっちゅうだ。
いくら膨大な記憶力があって物を知っていても仕方がない。それを利用して常に考えてほしい。広い深い思考力が有ってこそデータが生きてくる、決して偏狭な谷間に陥ってほしくない。
私は思います。善良な考えであれ、邪悪な考えで有っても考えている内はましだと思います。考えが止まっていわゆる思考停止状態が一番悪いと思う。考えている内はどちらにしてもしんどいし何かにぶち当たります。そこで撃破するか考え方を改めるか自分が試されるからです。瞑想であれ妄想であれ頭を使ってください、使えば使うほど頭は鍛えられます。
古い考えに囚われるなら寧ろ一度リセットした方が良いくらいです。いくら長くても二千年は長すぎます。百年に一度位は洗い替えしたほうがいい。ちょうど人間もそのくらいで死ぬのだから、イデオロギーに至ってはその時代の人間に新しく考えさすのが全うだと思う。
これからの人類は、ビジュアルも大事にして格好よく生きてほしい。分厚い本に書かれた指南書より、薄っぺらなデバイスに刷り込まれた新しい素晴らしいガイドブックとして使用してほしい。そうすれば七十五億人が全て繋がることも可能なのだから、古い聖書やイデオロギーなど捨て去って、みんなで考えたルールで新しい世界を作っていこう。
デジタル聖書
作詞 つばめのす
私に取って今はスマホが聖書
本物の聖書をホテルに忘れた為に
空港で捕まる国も有るの
聖書もエリアを考えて持たないと
その点デジタル聖書はロックが掛かる
全てインストールして持ち運べば
誰にもばれない
偶像もphotoの中 インスタで
共有すれば ノープロブレム
明日はメッカか平壌か
エルサレムの夕陽が涙を誘う
いざとなれば ドリルでワンプッシュ
今のスマホは愛着が有るから
それは出来ない いっそ水没させようか
あ 防水スマホだった
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