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下弦のスーパームーン
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」、この句は言うまでもなく藤原道長が詠んだ句である。意味はあの月のように満ち足りて何の不足も無い我が人生、この世の物が全て自分の物のように思えると言う風なことです。結局糖尿病で六十二才で亡くなったらしいです。人の世なんて詠うほど確かな物ではないのに、傲ってしまうのですね。そりゃ娘を三人も四人も入内させてしまうんですもの。娘が天皇の子それも男の子を産んだときはとても喜んだと、当時の流行作家の紫式部も書いてたらしい。
月の満ち欠けを見て、自分の人生も足りたり欠けたりすると悟れば良いのに、満月だけ見てしまったんですね。昔から人は月を参考にして暦を作ったり、潮の干満を利用したり、作物の植える時期を判断したりと月を基準にしてきた歴史がある。又月は浮気にも関係しているらしい、満月の前後はラブホテルが満室になる傾向が有るみたいです。興信所の浮気調査で裏をとるために漫然と見張るのではなく満月の時期に見当を付けるらしい。
月は太陽と違って熱くも眩しくもなく、手を伸ばせば届くのではと思わせる距離感、親しみ易さが感じられます。だからこれだけ歌や小説に登場してくるんですね。故郷を遠く離れてそれを想う時よく月が表現に使われます。奈良時代の遣唐使阿倍仲麻呂は若い頃唐に渡ったまま、官吏として唐の皇帝玄宗に仕え晩年何度と帰国を試みましたが、何度も嵐に阻まれその望みは叶えられなかった。「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」と帰国の宴で長年勤めた唐の友人達の前で詠んだとされる。でも結局帰国は叶わなかった。
奈良時代と平安時代と年代も境遇も全然違うのに、我が身を月に照らして感嘆に耽るのは日本人の心のルーツかもしれません。絢香さんは自分だけじゃなくて、恋人との関係を見事に歌い上げています。
そんな月ですが、西洋ではちょっと事情が違うようです。lunatic ルナティック、意味は躁鬱、狂気のと余りよくありません。月の光を浴びると気が狂う、或いは心の奥まで見透されるとマイナスのイメージがどうも大勢を占めるみたいです。
月の満ち欠けがそのような考えに結び付いているらしい。人の心の歪さを表しているとし、狼男の伝説のように月の光をを浴びると気が狂うと考えられていた。moonも動詞になると余り良い意味ではないみたい。
西洋と東洋で月に対する見方が大分違っても、人の心を対象として見ている点ではそんなには違わないです。月の満ち欠けは大体29.5日、新月上弦満月下弦新月と地球と一緒に仲良く太陽の回りを公転してます。そりゃ仲良しになります。四十五億年一緒に居れば、四十五億。
私の個人的イメージは、恐れも神秘もないですが、あるときは青白く、又あるときは赤く変化して役者みたいだなと思います。それと夜道を照らしてくれたり、心を写す鏡になったり学校の夜の守衛さんみたいだな。或いは街の夜警さん、皆が寝ているときに見廻りをしてくれているみたいに感じます。
それと一人で見るんじゃなくて少なくとも二人で見たいですね。
スーパームーン
作詞 つばめのす
明けきった西の空に
下弦のスーパームーンが浮かんでる
眠りにつく夜警のように
小中高の生徒たちは
眠そうに目を擦りながら
学校に向かう
スーパームーンよ お前は
夜の静寂の平和を守ったのか
それとも乱したのか
腐っ林檎のように下腹部を齧られ
やがて 消えて行く
今度 満ちる時は
ましな歌でも唄えるように
ボイトレでもしておいで
長い間 スーパースターに
成れなかったお前だけど
気の毒に思っていた
それは 人間の近くに居すぎたからさ
これからも 宜しく
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