小学五年の孫は人の性格を見抜く目が鋭い。じいじいは、あかん先に否定的にものを言ってくる。すぐに怒るしあんまりええこと無いで。自分でもそう思います、と反省しつつ性格だから仕方がないでしょとも思う。
物事をネガティブに捉え老婆心で話、心配性なのは生まれ育った環境が大きいと思う。今さら変えようとも思いません。
それと関連するのか、判官贔屓です。関係無い人達の試合でも弱い方負けている方を応援してしまいます。地方の旅館やホテルで演じられてる旅芸人さんや、それに類する人達に出合うと顔を見るより裏の人生の方が気になり、すぐに妄想してしまいます。
日本のドラマでも韓国のドラマでも悲しい筋書きや苛めのストーリーはじっと見て居られません。家内は良く平気で見ているなと思います。途中は飛ばして最終回間近のハッピーエンドになりかける頃からまた見始めます。
この性格は自己分析すると、商売に向いてない、勝負事にもだめ、芸事も無理一人ひっそりネガティブな詞でも書いてるのが似合ってると思う。やはり水は低いところへ感情は弱いところへと流れていきます。でも心の中では表舞台を踏みたい、スポットライトを浴びたいと言う気持ちは人並みに有ります。そんなに強烈じゃ有りません。
旅の芸人さんであれ、旅のストリッパーさんであれ心の中に錦を飾れる舞台が有ることを祈ります。
山陰を行く列車はだんだんと京都を離れやがて海に出ます。海に出た線路は竹野を通り香住へやがて余部鉄橋を越え浜坂へ山陰の小都市を転々と旅芸人が通り過ぎるように続きます。ここを流れる岸田川を山の方へ遡れば、夢千代日記で有名な湯村温泉へたどり着きます。女芸人はそちらの方まで足を伸ばすかもしれません。
列車は鳥取を抜け米子、宍道湖、出雲へとまるで阿国が故郷へ帰るように続きます。
私は作詞を一眼レフのカメラになぞり旅の風景、人生のワンシーン心の中を描写して行きたいと思う。古ぼけてピントのボケた二眼レフに成るか、最新のミラーレスカメラに成るかは知りません。また良く曲も無いのに書けるなと言われますが、この作品たちがいい曲に出会い乗せて貰えるかはこの子が生まれたときの運命、それは人生でいい人と出会えるかと全く同じです。
インスピレーション
作詞 つばめのす
円山川が窓から離れて行く
山陰本線乗る女が 昨日は城崎
桜の花を見詰めてた
花曼陀羅の外湯の縁に
涙ひとつ落ちていた
香住を過ぎれば余部の
鉄橋渡る風が 心の隙間に忍び込む
私はしがない旅芸人
明日は浜坂辺りのミュージック
昔から花の命は短いと
ここまで来れば十分ね
砂丘の向こうは日本海
砂に捕られた足取りは
とうに途切れた私のよすが
花よ咲け 風よ吹け 阿国のように
一度は見得を切ってみたかった
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