a voice of no religion

作詞

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ジェットエンジンとお賽銭

去年、中国の空港でタラップで搭乗する時に、ジェットエンジンの前を歩いていく80歳の老婆がエンジンに硬貨を投げ入れる事件があった。中国では時々あるらしい。

お賽銭のつもりだったらしい。大変危険な行為だ。でも本人は神にお金を上げて安全をお願いする自然なことだった。昔から中国では池にお金を投げ込んで願いを叶えてもらうと言うことなど珍しいことでは無いらしい。世界的に見ても散見される。

宗教の始まりなんてみんなこんなものだと思う。その人に取っては都合のいいこと、思い込み色んなものが合い混ざった考えに枝葉が伸びていく。それに共鳴した人達が地域的にも時制的にも拡がっていく。元々教祖の手を離れ弟子やその弟子たちへと伝わっていく。勿論教義は拡大縮小曲解され伝達していく。もうその頃になると教義自体はそれほど重要で無くなる。それを持ち上げている構造自体が大事に成っていく。勿論それに伴う収益構造も一部の枢機卿によって維持されていく。

一つの宗教の集まりでさえ、時代を経て行くと別れて行かざるを得ない。教義のぶつかり合いは表の戦い、本当は裏の収益の取り合いが発端である。今まで同じ宗派の宗教戦争なんて数多ある。それは教義に耐えられなくなって別れていく場面も有るが、足元を良く見ると支配者層と被支配者層との隔離が始まっていくことが原因と思われる。膨大な年数と言っても僅か千年だが宗教によって階層が決められていく地域だって存在する。金持ち同士の子供の結婚式に百五十億円も使う連中がいる中で貧民はずっと便所掃除しか許されないなんて可笑しい。しかも僅かな給金で。でもそれに抗う知恵も気力もない。飼い慣らされて来たから。悲しいことである。

それが一旦他の宗教間の関係になるともっと厳しく冷酷なものになる。殺し合いに直結していく。教義を信じれば信じるほど異教が許され無くなる。そらそうだろう、宗教ほどエゴに近いものはこの世に無い。隣人をアイシナサイト言っても、まず自身の存在を確実なものにしてからの話であって、自棄の奉仕なんて考えられない。

この地上に宗教が降り立ってからいくつの宗教間の闘いが有っただろう。これからどんなけ未来に続いて行くのだろう。自宗を信じれば信じるほど、主張すればするほど闘いは拡大し継続していくだろう。憎しみは憎しみを呼び、悲しみは悲しみを呼び起こす。

宗教は通信手段でもなくSNSでもない。もっと心の中にしまう大事なものであろう。それを表に出して見せびらかすなんて愚かなことだ。宣教師なんて莫大な資金をバックに世界中を駆け巡り布教していった。日本の神社の御師はもっとおとなしく穏やかだった。宿の手配をしたり食事の世話をしたり遊興の段取りまで賄った。或いは諸国を回るのに遊女を連れて参拝を呼び掛けた。そこには日本独特の緩さ良く言えばおおらかさがあった。でも中東の砂漠地帯ではその曖昧さは命取りになったのであろう。目には目を歯には歯をでこられるといつも懐に短剣を忍ばせて話し合わなければならなくなるのも無理はない。

だから宗教には毒剣が仕込んである。その剣を使うか使わないかは時の権力者の裁断である。中世において宗教は大きなアイテムであった。相手に出合うと自分の立ち位置を明確にしなければいけない特性があった。日本のように立場を曖昧にしてぼかして生き抜けようなんてとても出来ない。それならば自分の切り札はこれだと示して、出来るだけ強いカードを出さざるを得なくなる。元々宗教団体は戦闘集団の側面を持つ。そこから弾き出されると強烈な村八分に合う。利害が一致しなければ魔女狩りや宗教裁判に掛けられる。異教との闘いも熾烈を極める。十字軍に従軍するのは決死の覚悟であった。バチカンの衛兵は、当時最強だったスイスの傭兵軍団が採用された。今は礼儀式の様相の方が強くなっている。

宗教改革、プロテスタントの台頭、イスラムとの闘いどれを取っても集団に取って強い戦闘集団の側面が要求される。日本おける僧兵のような中途半端なものでなく軍隊としての要素が強く要求される。

宗教は高貴な素晴らしいもので崇められなければいけないというのは、一種の妄想であろう。本来DNAの下部の基本的なゾーンに刻まれなければならない本質的なエゴティスティックな記号である。大事なものであるから無闇に振り回して人を傷付けたり闘いの武器にしてはならない。それこそ本来の教祖様が訴えたありがたい本義から離れていくだけである。私は何も宗教を否定するものではない。でもその使い方扱い方を誤るととんでもないことが起こる。それほど宗教が持つポテンシャルは常人が扱い切れるもので無いことを胆に命じて欲しい。

 

a voice of no religion

作詞 つばめのす

いつまで 続けるつもり
醜い争いを
そりゃ無理だわ
宗教で解決しようたって

宗教って一番大事なものだろ
家から一番大切なもの 持ち出して
見せ合っても 仕方ないでしょ

一番大切な物は家にしまっておいて
話しましょ 喋りましょ
でも 宗教は言語じゃないから
それを使っても 伝わらない

異教徒同士の恋だから
それぞれの言葉に 愛を込めて
語りましょ 歌いましょ
愛の歌を

 

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