アプリコットジャム

作詞

Contents

高みを目指して

女子高校達が、シンガーソングライターを目指して毎日遅くまで軽音楽部でギターをひく。又は美容師さんになりたくて夢をみる。ファッションデザイナーを目指して毎日デザイン画を描く。弟相手に自宅前のガレージのコンクリートの上で、何処で集めて来たのかゴミ袋一杯のバドミントンのコックを打ち込む女子中学生。毎日おじいちゃんに付いて来てもらって練習場の二階の隅でゴルフクラブを振る女子。毎週土日の朝早く空いている内のカラオケボックスに母親と来る女子中学生。あらゆる分野で励む子供たちの姿が私を喜ばせてくれる。人の命を救いたくて一人前の看護師を目指す見習い看護師の密着ドキュメントに感動する。

 

キュートにスマートに高みを目指す小鳥たち、まるで自分が思い描く花道を歩くファッションモデルのようにランウエイを羽ばたいていく。人はある意味子供のころは籠に囲われた小鳥みたいなもの。いい意味では、保護された状態。悪く言えば自由が無い。この美しき拘束をどう解き離れるかは、それぞれ子供達の責任範疇になるのであろう。生まれてきてどんな鳥籠に入れられるかは分からないし本人たちは選べない。

巣立つまでに自分で潰れるもの、親や周りに潰されるものが出てくる。物心が付いて羽ばたきを覚えるまでに、何年かかるだろう。それまで両親が揃っていてくれれば幸いです。そうでないと本人に負担が掛かる。それがある意味では本人の為になると言う馬鹿な意見もある。家庭に瑕疵があると言うことが、本人のやる気を起こしたなんてことは結果的に上手くいった場合に言えることであってそれを推奨するに当たらない。

よく私はこんな酷い環境でしたと言えば、そんなの苦労に入らない俺はもっと酷い状態だった。と不幸の比較を始める奴がいる。それこそ不毛の議論だろう。他人と比べるまでもなくその人の人生はその人しか解らないのだから。その人のものだから本人が分かればそれで良い。でも子ども達の環境はなるだけフラットで差別間が少ない方が良い。競争するにしたってスタートラインは揃えた方が綺麗だ。

承認欲求

よく評論家達がしたり顔で言う。あの子はアイドルとして今一なのに、承認欲求が強すぎるとか。そんなのほっとけよ、誰だって承認欲求は有る。その塊だと言っても良いくらい。小さいときは親に先生に、少年時代は友達にカラオケ行っても上手いと言われたい。夫婦であれば妻に夫に承認してもらいたいと思う。誰だってそう思う少しでも綺麗に思われたい。

心理学者の言う他者承認であれ、自己承認であれ持っていて当たり前無い方が心配になる。社会に出て自分はいいです、お先にどうぞばっかり言っていては始まらないでしょう。外人なんてどんな場面だって自己中心、自己承認を要求してくる。

日本人は控えめに、和を持って尊しなど訳の分からないポリシーを押し付けて衆愚を啓蒙しようとしてきた。それは教育の場面で顕著に現れる。ランクを付けない点数を付けないと言いながら結局は記憶力の高低だけで生徒を振るい落としていく受験競争。首尾一貫していない、その場しのぎの教育。

そんなのから想像力なんて生まれる筈がない。若い子の才能や力はしょうむない教育で潰してほしくない。それならまだ放ったらかししていた方がましである。全国統一のショッピングモールでも使い方によっては幾らでも発展していく、自己主張を伸ばして行きたい方に行かせてやれば勝手に大きくなっていく。余程道を外さぬ限り辛抱して見守って上げる方が私は良いと思う。

当時出雲大社のプロモーターに付いて全国を廻ったであろう、出雲の阿国もいわば現代のアイドルそれが今や京都の古い伝統のような扱い、歌舞伎を極めるものが凄いとなる。だったら今の若者も自分のファッションで歌舞けばいい。誰に遠慮要るものか。ショッピングモールを練り歩く女子のように高みを目指して飛び立て。

アプリコットジャム(高みを目指して)

作詞 つばめのす

お金が無いから ショッピングモールを
練り歩く 現代の花魁

食べることを 断り
餓鬼のような 細身を着飾る

抱く気も起こらない
食べられることを 拒否した
デコレーションケーキのように
アプリコットジャムを 身に塗りつけた
アパレルガール

情報を共有して 創造することを
思い付かない
文化は 人真似から生まれると
信じて曲げない
競うことが 人の全てと思い
負けん気で 生きてきた

多色多様な フィルターをくぐり抜け
たどり着いた者だけが
どや顔で ほざくことが出来るステージ

買われてきたのか 自ら買って出てきたのか
もはや 大した問題ではない

舞台に登ったからには 弾けるしかない
泣き言は 降りてからにしろ
高みを目指して 逆バンジー

この作品の著作権は作詞者に帰属します

タイトルとURLをコピーしました