高齢者講習通知書

免許

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免許切り替えと講習

秋のある日の午後、昼寝から目覚めた私に妻が一通の封筒を差し出した。目を擦りながら何気なく見ると一瞬で何か分かった。「高齢者講習通知書」大変重要なお知らせです。受講しない場合は、運転免許は失効し、無免許運転となります。

袋を開けて中を確認すると、「同封の一覧表の中から教習所を選んで講習を受けて下さい」歩いて五分位の所に、某大学がやっている教習所が有る。だけどリストには載っていなかった。あるのは自転車で片道40分位の所ばっかりだ。

仕方がないので、その中でも一番近そうな教習所を選んで電話をかける。電話をして今週中にでも行こうとしたら、今は一杯です。最短でも二か月先の11月25日の日曜日になります」その日を予約しました。「通知書と免許証と受講料の5100円持って来てください」やはり高齢者が多いんだ。

マスコミでも有名だった、某大学系列の自動車教習所をは、広くて近いのにとおもった。去年大型自動二輪免許を取ろうと思って、パンフレットを貰いにいきました。ロビーに入ると案内の若い女性たちが沢山いて、すぐ近寄ってきてどんな御用ですかと聞いて呉れた。用向きを伝えると直ぐに、立派なパンフレットを持って来てくれた。こんな年寄りでも初めて大型取りに来る人いますかと、尋ねると「ええ、いらしゃいますよ」と笑顔で答えてくれた。だからあそこだったら良かったのになと思った。その疑問は後で解ける。

講習会当日になりました。講習会は13時からだったので、早昼を済ませて行きました。教習所は隣りの市にありました。初めてのところですが、私は土地鑑が良い方で昔そばまでは何度も行ったことが有ったので迷うこともなくそばまで来ました。高齢者講習の幟が有ったのでもうすぐだなとおもった。幟はかなりふるいものだった。すると垣根越しに廃工場の硝子窓の会議室みたいなのが有ったので、この次かなと通り過ぎようとしました。が、良く見るとそれが教習所の事務所だったのです。私は家の近所の豪華な建物の教習所を想像してたのでびっくりしました。一歩、構内に入るとそこはタイムスリップしたかのように昭和の教習所でした。それも私が初めて習った50年前のそれでした。懐かしささえおぼえました。

事務所に入り受け付けをしてもらい、施設を簡単に説明してもらいました。奥が会場ですと言われた部屋に入ると、すでに二人ほど座っておられました。教室と言っても20人も入れば満員です。そこには視力検査用の機械が2台と視野検査の六分儀のような機会が置いてあるだけで素っ気ない雰囲気だった。それは、運転免許証の終末期に於ける講習会というより人生の仕舞い方の講習会と言う趣でした。

全部で六人の生徒です。最初の一時間程は講義で、休憩があり後の一時間は二班に分かれて、1班は運転の実技もう一班は目の検査です。車はかなりの年代物で車種も分かりません。運転してみるとハンドル周りのゴムのブッシュもかなりへたっていて運転も別の意味で技術がいる代物でした。二十歳のころに戻ったようで少し緊張しました。目の方はまずまずまずの結果でした。生徒たちは皆さん私と同じ七十歳台みたいでした。昨日足の筋を痛めたから今日はどうなるか分からんとか、そんな声もきこえていました。

二時間が過ぎ講習が終わり修了証を頂き帰路に付きました。いくら無事故でゴールド免許でも、71歳からは更新年数が三年になるとか、75歳以上は認知機能のテストもしなくてはいけないとか段々人生の手仕舞いが近付いてきてるようです。

その夜、何気なくテレビを見ていると遅くまで飲んで終電を逃して深夜バスで帰る人に許可を得てお宅まで付いていくと言う番組がやっていた。都心から一時間も二時間も掛けてしかもバス代、その上タクシー代まで入れると一万円も使っても銀座辺りで飲もうという気力には、感心させられました。インタビューを聞いているとそれぞれ強烈な現実を抱えておられるのにすごいエネルギーだなとおもいました。家も建てて離婚もしても前を向いて生活していく気力は、四、五十台の人たちと私みたい七十台とは偉い違うなとおもいました。

多分私にも覚えがあるのだが、強烈な現実が強烈な後押しをしてくれるのだろう。忘れていた感覚が蘇るきがした。後期終末期と人生真っただ中とは違うだろうけど、過酷な現実があるから反発する力も出てくるのだろう。辛い苦しい現実にたじろぐことは無い。人生の終わりに届いた赤紙ならぬ白紙、新しい出征に心沸き立つばかりである。

雲雀が飛ぶ空

作詞 つばめのす

どんなに曇っていても
どんなに時代が閉塞していても
春先の暖かい日に 靄空を雲雀が囀ずる

姿は見えなくても 胸に響く
蒸せかえる畦道を忙しく行く蛙のように
嬉しくて 堪らなくて ときめいて

自分の主義と社会のそれとが重ならない
気に入らない服を身に付けて街を行く如く
それでもいい 思ったまま生きよ

絶海の孤島に投げ出された絶望にも
その先がある もっと南に行けば
華やかな琉球文化が開けている
その時は 気付かなくても

振り返るな 後戻りするな
絶望のその先には お前の知らない
考えも及ばない 未来が待っている

雲雀が舞う こののどかな閉塞の町に
さあ 若者よ 走れ 飛べ 舞い上がれ

 

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