南風

作詞

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風待ち港 潮待ち港

南風と書いて みなみかぜ・なんぷう・みなみ・はえ・まぜ・まじ・ぱいかじと地方によって色んな呼び方がある。漁師 たちはこれが吹いた場合、天候の変化の前兆として警戒する。

はえが吹くと海が荒れる、でもあなたが帰ってくる。半年前に出て行ったあなた、もう帰る頃。私の心はずっと風待ち港、あなたの船を抱いていたい。それとも遠い港にいい女が出来たの。

人は、人の心に一時止まって又旅立っていく。私はそんな潮待ち港の一つ、幾らでも泊まっていきなさい。あなたの気が済むまで、私は引き留めやしない。

二人が出会ったのは、時の運、風の運、潮の運、土の運、天の運、五運が重なりやっと出会えた、もっと顔を見せておくれ。あなたは北前船の船乗り、次にやって来るのは一年先だから今夜は抱いとくれ。風向きが変わるのはすぐだけど、変わらないであなたの心は。

他の港にも女がいるのは、女の勘で判るからそれは、黙っていてあげる。海が時化て困ったときは何時でも帰っておいでこの港に。

北前船

北前船は、大阪と蝦夷地(北海道)を一年掛けて往復する北回りの船のこと。船主が行き先で仕入れた品物を港みなとに寄りながら、商いをして最終地で全部売って差額を儲けた。

四月に大阪を出て、瀬戸内海を通り下関を周り日本海に出て、対馬海流に乗り北上していく。蝦夷に着くのは5月下旬、夏の盛りに蝦夷を出航大阪に着くのは十一月始め、対馬海流に逆行するのと、途中寄る港で商売をしながら帰ってくるから帰りは遅くなる。日本海側の船乗り達は、春までの間を徒歩で故郷に帰り正月などを過ごした。とても楽しそうですね。春になると歩いて大阪までやって来て又出航していく。

東回りの船も有ったが、江戸から大阪に向かうのは、黒潮に逆らわなければいけなかったので、当時の航海技術では大変だったらしい。だから西回りつまり北回りが栄えた訳がそこにある。何人もの船主がいて、それぞれ大儲けした。北風壮右衛門、高田屋嘉兵衛、本間光丘などが有名である。中でも酒田本間家は日本一の地主と言われ、北前船で上げた富で土地を買いまくった。

一方で江戸大阪の直通航路も有った。菱垣船何でも積んだ、樽回船その名の通り酒樽を運んだ。でもこれらは片道の荷しか積んでないので儲けはそれ程でもなかった。

元々近江商人が、船を持ち日本海沿岸で船乗りを雇い、北海道松前と大阪の間で交易を始め利益を出して行った。それを見た船頭達もこれなら俺たちにも出来ると、船を手に入れ回船事業に乗り出していった。船は平均で千両ほどしたらしい。大きさは千石、150トンの米を積み込めた。年に一往復で今の金で一億円の利益が出た。下り(大阪-蝦夷地)で1割、上り(蝦夷地-大阪)で残りの九割を儲けた。

 

下りの積載物は、米酒砂糖、瀬戸内の塩これは鮭とかを塩漬けにするのに役立った、それと日常生活品(衣服煙草ろうそく、むしろ縄)などそして下り船の荷は軽かったので瀬戸内の花鋼岩や名石をバラストとして積み込んだ。

上りは、蝦夷地の海産物、鰊粕、数の子、身かき鰊、干しナマコ、昆布中でもニシン粕は肥料として飛ぶように売れ、仕入の何倍にもなった。

 

元々近江商人が始め航路沿いの商人が目をつけて発達して行ったが、中でも江戸の商人で有った河村瑞賢の名前を外せない。十七世紀頃、最上川流域の幕府の天領地に米が15万石取れた。これを幕府は大阪に送り高値で捌こうとした。酒田と大阪の航路を開くことを命じられた瑞賢は、始め津軽海峡を抜け太平洋に出て南下し房総半島を回り込んで江戸に入る、つまり東回り航路を考えた。でもこの海路は海の難所が多く諦めた。そこで距離は倍以上になるが安全な航路を開拓した。

北前船で儲けた商人のなかには、酒田の本間家のように積み荷の米を、行き先の米相場でかなり儲けた者も出て来る。江戸中期には大阪の堂島米会所、江戸の蔵前などに大掛かりな米相場が立った。先物取引である。今年は米が採れにくいと考えると高値で売り、期限が来ると下がった値段で米を買い入れ差額を手にした。米は実際には動かない。又逆に期限に値が上がると損をした。いまの商品取引の原型である。

これは大名達のように、現物米を取引しているものにもメリットがあった。先物で値を決めていたのに、米を運んで到着した時に値が下がっていると損が出る場合でも、買い戻しをすることによって損を最小限に留めることも出来た。

北前船は風任せ、潮まかせ港で待つ女は気が気で無かったろう。岬を回って白い帆が見えたときは胸がときめいたであろう。江戸の封建時代に身分を越えて出世するなんて殆ど無かったろう。そんな中で船頭になって船を持てるようになると大儲けが出来た。その反面非常に危険な商売だった。命さえ掛けなければなし得なかった。それでもなりたいと言う者は後を断たなかった。

十三、四才で炊(かしき)つまり飯炊き、水主(かこ)、舵子、表、知工(ちく)つまり会計課これが力が有った、船頭と三十年位かかった。船頭にも雇われの沖船頭、船持ちの直乗船頭があった。菱垣船の船頭の給料は20両ほど有ったのに対し、北前船の船頭の給料は二三両でした。その代わり北前船では、船の積み荷の1割程度は自前の荷を積むことを許されていた。それを商売することによって年に百両程の儲けを挙げていた。

自分の夢を風や潮の流れに任せて叶える壮大な人生ドラマ、色んな恋物語も有ったでしょう。南風が吹く季節になるとふと思い出します。

南風

作詞 つばめのす

お金のことで別れたけど
心はまだ貴方に会いたがっている
それぞれの相手と暮らしているけど
いつかはまた もとに戻りたい
こんな私はおかしいですか

若い時はなぜそうなるか分からなかった
自分のことなのに
南風の吹く今なら分かる
気がついてないふりをしてただけ
分からないふりをしてた方が
楽だったから

何気無いきっかけで出逢い
その時は運命だとは知らなかった
少しずつその日から変わっていき
お互いの心も疲れていった
ある日劇的に別れがやって来て
激しく二人を傷つけていく

南風吹く季節になって
別れてしまったあなたなの
誰のせいでもない風のせい
南風吹く季節になって
又あなたに会いたくなった

 

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